ジェンタ特許を読む その4

さて、本題に戻ろう。 まずこの特許は時計のケースに関する特許である。ムーブメントはあまりにも有名なジャガールクルト製の921であり、これに関する新規性はない。ジェンタはデザイナーであり、ムーブメントを設計することはなかった。 では何に新規性があったのか、ジェンタはこのケースの特許として以下のように概略を記述している。 防水時計ケース、それは、ケースとベゼル、風防ガラスとをネジによって結合したものです。防水パッキンは、ケースとベゼル、風防ガラス、そして時計のムーブメントを支持するフレームとの間に設置されます。 ネジの頭はベゼルに埋めこまれるようになっています。それらのネジは、内部に用意されているそのネジ用の受け穴に固定されます。ネジの受け穴は、ネジを効果的な角度に固定できるようにします。 それぞれのネジとネジ受けとは、防水パッキン中に埋めこまれて貫通しており、ガラスとベゼル、ケースとベゼル、ケースとムーブメントとの支持用のフレームとの間の防水性を保証しています。   特許の Abstract、概略には、この特許で一番重要な点が書かれていることが常である、まず読みとれるのは、この特許は、防水ケースに関する新規のアイディアを含んでいるということである。 どうやらジェンタはその新しい防水ケースの実現にあたって、ケースとベゼル、風防ガラス、ムーブメントを支えるフレームとをパッキンで包みこみ、そのパッキンを、パッキンを貫通するネジによって締めつけるという構造を提案しているようである。以下の図でネジが 11、ネジ穴が10、パッキンが8である。パッキンは、ムーブメントを覆うように全面に位置しているのが分かる。

ジェンタ特許を読む その3

閑話休題。 1972年という、時代背景を考えておきたい。 1972年は、西暦でいうと何だか格好いいが日本でいうと昭和47年である。昭和44年7月、アポロ11号が月に着陸。12月、セイコーが世界初のクオーツ腕時計を発表。昭和46年、戦後のいわゆるいざなぎ景気が終わり、昭和47年にはNHKのカラーTV契約数が白黒TVを上回っている。その頃の話である。 この頃、時計業界ではいわゆるクォーツ革命の影響が見えはじめていたとされている。ただし、まだそれは誰の目にも明らかといえるほどのものではなかったであろう。 昭和44年当時、セイコーは、クオーツ・アストロンを世界にさきがけて発表した。それはたしかに素晴しい栄誉ではあった。だがアストロンという製品自体は、その量産によって直ちに利益を得られる製品では到底なかった。昭和46年に量産が開始された38クォーツによって、ようやくセイコーは先行者利益を得られるようになってきたものの、それでも当初のクォーツ時計のシェアは微々たるものであった。クォーツの発表から5年後の昭和49年(1974年)でさえ3%程度であり、その生産数は電磁テンプ、音叉式などの他の電池駆動方式と同程度のものでしかなかった。(参考: 日本の時計産業概史 ) 翻ってスイス時計産業は、同じ昭和49年(1974年)に当時の出荷額のピークを記録している。音叉式や電磁テンプ方式などが60年代から存在しており、電池駆動の時計自体はさほど珍しいものでもなかったし、スイス時計産業もその威信をかけてクォーツ腕時計の開発を行っていた。 そうした時代の中で、オーデマピゲは、1971年に、金無垢の時計よりも高価なステンレススチール製の機械式時計の計画を着々と進めていたということになる。(画像はウェブクロノス ジェラルド・ジェンタの全仕事 より引用)。

ジェンタ特許を読む その2

次に分かるのは、本特許は最初に1971年12月6日にスイスで出願されているということである。これが「優先日」であり、「どちらが先に発明したか」という議論になったときにこの日付が議論のベースとなる。その後アメリカ出願が1972年10月30日、アメリカで審議され、公開されたのが1973年9月4日ということになる。 この日付はけっこう重大である。特許をとるには発明をしなくてはならず、発明にはそれが発明と認められるための要件がある。いわく、 1.自然法則を利用していること 2.技術的思想であること 3.創作であること 4.高度であること 参考(特許法第2条) いくらアイデアが良くても「こんなんあったらええのにな」だけでは発明とはいえない。発明であるためには、そのアイデアが技術的に検証され「動く」こと、その仕組みが分かれば誰でも作ることができる創作でなければならない。また特許には、出願するにも維持するのにも費用がかかる。オーデマピゲといえども、この新規アイディアを検証せずに特許出願することは考えにくい。 ということは、この1971年12月までにはこの特許のコンセプトは試作を終え、所望の機能を充たす技術的検証がほぼ完了していたであろうということになる。これはロイヤルオークの発表のわずか4ヵ月前のことである。スイスのバーゼルにてロイヤルオークが発表されたのは、1972年4月15日のことであった。

ジェンタ特許を読む その1

今回から、ジェラルド・ジェンタのロイヤルオークの特許について読みこんでみる。USPTO(米国特許商標庁)の ウェブページ から検索することで原文にあたることができますし、内容についての概略は以前にも書いていますので、お急ぎの方は、以下からどうぞ。 機械式時計のどこがいいのか その22 まずは、特許の基本情報である。 米国公開番号:3,756,017 米国公開日:1973年9月4日 特許名称: ウォッチケース 発明者: ジェラルド・ジェンタ (ジュネーブ、スイス) 権利者: オーデマピゲ S.A. 出願番号: 301,738 出願日: 1972年10月30日 優先権主張番号:17724/71 優先日: 1971年12月6日 優先権主張国: スイス これらのことから、まずこの特許は、いわゆる職務発明の形態であることが分かる。発明者はジェラルド・ジェンタだが、その発明の権利者はオーデマピゲS.A.である。権利者は、発明の権利の一切を保持し、かつ特許の登録に必要な弁理士の費用や出願費用などの一切を支出する。つまりこの発明を侵害すると、オーデマピゲから訴えられる可能性があるということになる。 ただし特許には期限がある。アメリカ特許法の期限は原則20年である。 特許法の理念は、発明の奨励によって産業の発達に寄与するという点にある。発明したとたんに模倣品が出て来てしまえば、発明者のモチベーションは落ちる。発明のために必要とした膨大な費用を回収できなくなってしまうし、発明すればするだけ損ということにもなりかねない。かといって、一回発明したものに対して永続的に権利をずっと保護してしまえば、類似品を未来永劫作れなくなってしまうことにもなり、産業の発展の阻害要因にもなってしまう。そこで特許法としては、産業の発展を阻害しない範囲で十分な保護を権利者に行うという観点から保護の範囲が定められ、各国の特許には期限が設定されている。 この特許は1973年の公開だから 1993年にはおそらく特許は切れている。 ということで、今現在ロイヤルオークに似たような形状の時計が出てきてもそうそう目くじらをたてる必要はないということをまずは付記しておきたい。  

機械式時計のどこがいいのか その35

若い時期の一時期、年齢を経てからでは絶対に不可能な仕事を達成することがある。ジェラルド・ジェンタにおけるロイヤルオークもその一つかもしれない。 ジェンタが秀逸なことは、その特許を読めば分かる。ジェンタは、どうやら自分のやっている進行中の仕事のその価値が分かっていたらしい。自分の行った仕事の価値を自分で理解してそれを文章にする。これは簡単に見えるが、実はそう簡単な作業ではない。新規性を産み出した人間が、自分で自分の産み出した価値をアピールするのは実は非常にバランスを必要とする、繊細な作業なのだ。 まずたいていの人は、まさに作業しているその新しい仕事に集中して時間をかければかけるほど、その仕事そのものが自分にとってはルーチンの仕事になってしまい、どこに新規性があったのか分からなくなってくる。そうならないためには他者の仕事を広く知ってつねに意識しておく必要がある。 その一方で新規性を産み出すためには、他者の仕事を知りすぎないということも必要になる。他者の仕事を知れば知るほど、自分の中ではそれが当たり前になってしまい、そうなってしまうとブレイクスルーの必要性も失われてしまう。ブレイクスルーするためには、他者の仕事を知りつつも、「ここが不便だ。ここがおかしい。自分だったらこうする」という強烈な意識を保つ必要がある。その意識を保つためには、年齢的には気力がみなぎっている若いほうが有利であろうし、その意識を保つために、あえて知らないということも場合によっては必要になってくる。 ジェンタの秀逸なところは、そこで微塵もブレていないところである。自分の仕事の価値はここにある。世の中にある新しい仕事はここにあると書いている。若いとはいえ、当時から広くいろんな仕事を見ていたのであろう。 ジェンタが残したロイヤルオーク。ジェンタが予見した通り、現代でも、このデザインはいささかも古びていない。当時としては破格な39mmという大きさ、加えてドレスなみの7mmという野心的な薄さ、さらに防水のためにテンションリングに頼らないワンピースケース、そのために採用になった伝説的なキャリバー2121。文字盤のタペストリーダイヤルに、極限までつめた針と文字盤のクリアランス。いささかの妥協も許さないそのデザイン、これこそが若さであると思う。これからの時代を自分が拓くという気概に満ちている。いつまでたっても古びない、若い時計。それがロイヤルオークなのかもしれない。  

機械式時計のどこがいいのか? その24

ジェラルド・ジェンタが、新しいデザインの高級スポーツ時計をオーデマピゲと開拓した当時の時計ケースの特許を見てきました。ジェンタがいうように、たしかに新しい外観で、製造性も考慮されており、しかも防水性も確保されているようです。 次は、そのケースに収められる時計の中身、ムーブメントを見てみましょう。初代ロイヤルオークは、いままでにない新しいデザインを訴求して作られました。そのための新しいケースは裏蓋がなく、薄型にして、なおかつ十分な防水性、対衝撃性を保つことができました。その薄型ケースに採用されたのは、ジャガー・ルクルト920ベースのムーブメント(AP 2121)です。厚さわずか3.05mmの自動巻きムーブメントで、量産される自動巻ムーブメントの中ではもっとも美しいムーブメントの一つといっていいでしょう。 人の手がかかればかかるほど、モノは高級品になります。ムーブメントで手がかかるところは、もちろんその仕上げです。同じベースムーブメントでも、仕上げによって全然違うムーブメントになり、高級品になればなるほど、ステンレスの削り出し部品に仕上げが加わります。まずは部品の面とりです。削り出されたステンレスを磨いて角をとります。そして、一つ一つの部品にコート・ド・ジュネーブといわれるさざ波のような仕上げをしていきます。ムーブメントの地板や裏蓋にはベルラージュと言われる仕上げを施します。歯車の歯は、一本一本磨きます。これによって、歯車の抵抗が減りトルクのロスを減らせます。 画像は最新のオーデマピゲ 2121 のムーブメントです。ムーブメントの中央部に何本か斜めに見える線がコート・ド・ジュネーブです。外周部には、ムーブメントの地板に施された円の紋様、ベルラージュ仕上げが見えます。部品の一つ一つは磨かれ、面取りされているのが分かります。

機械式時計のどこがいいのか? その23

ロイヤルオークの続きです。今度は特許の本文を読んでみましょう。ジェンタが何を考えてこのケースを考えたのか、少し見えてくるかもしれません。 この発明は時計のケースに関するものです。 高い防水性を持つ時計ケース、これが発明の目的の一つです。これは、とりわけシンプルで、製造に適しており、そして、美しい外観を持ちます。 この防水性の高い時計ケースは、ケースバックと、風防を挟み込んだベゼルとを何本かのネジで結合します。そのケースバック、ベゼル、風防とムーブメントのケーシング用のフレームの間には防水性の高いパッキンが配置されます。 似たような構造の例はたくさんあります。しかしながら、従来の構成では、ケースバックが直接、薄い環状のパッキンを圧着します。この方式の欠点は、その部分以外の時計の接合部分にありました。とりわけベゼルとケースとの間が、ある一定期間水で満たされた場合、これらの部品が錆びてしまうかもしれません。 この発明によって作られる時計ケースの大きな目的は、時計ケースのすべての部品に対する完全な防水性を保証することです。そして、新しく美しい外観、また製造の容易さも考慮されています。 ジェンタは、新しいスポーツ時計をデザインするにあたって、防水性をもちろん考えていました。しかし同時に時計の外観に配慮し、さらに製造の容易さまでもデザインの段階で考えていたということが分かります。

機械式時計のどこがいいのか? その22

ロイヤルオークの話を続けます。仕上げは最終工程ですから、その時計の作られたコンセプトと密接に関連があります。そこで今回はロイヤルオークの特許を読んでみたいと思います。まずは表紙です。 画像は、1973年9月に成立しているU.S.の特許です。スイスで成立しているのは1971年12月です。発明者はジェラルド・ジェンタ、特許の権利者はオーデマピゲです。4ページしかないので、比較的簡単に読めます。 概要のところを訳出してみます。これはほぼ特許の請求事項と同じです。 ケースバックとベゼル、風防ガラスとをネジによって結合する防水時計ケースです。ケースバックとベゼル、風防ガラス、ムーブメントを支えるフレームとの間には防水パッキンが配置されます。ネジの頭はベゼルに埋めこまれるようになっています。それらのネジは、内部に用意されている受け穴に固定され、ケースバックから必要に応じてそのネジを固定できます。それぞれのネジとネジ受けは、防水パッキンを貫通していて、ガラスとベゼル、ケースバックとベゼル、ケースバックとムーブメント用のフレームとの間の防水性を保証しています。 一言でいえば、裏蓋がないタイプの新しいケースの特許です。特徴的なのは、ベゼルとケースとを何本かのネジで結合して、その間に風防ガラスとムーブメント支持用のフレームを挟みこむことです。その間に防水パッキンを置くことで、防水性を確保するというアイデアになります。 図でいう8がネジ,11は円ではないネジの頭です。9がネジ受け,10はそのネジ受け内部に溝が切られている部分です。防水パッキン4はこれはA(ベゼル5とケースとの間)、B(ベゼル5とガラス6との間)、C、(ケースとムーブメント13のケーシング用リング12との間)の間を満たします。 特許には新規性が必要です。そこでこの特許の新規性は、いままでの問題点を解決する防水ケースという観点で書いてあります。しかしこの特許は、防水性という実用性だけではなく、外観的な部分も考えていることが分かります。ベゼルの上にネジが出ていてはかっこ悪いですよね。なので、ネジの頭の部分をベゼルに埋めこめるようになっています。しかし、ただ、埋めこめるようにしてしまうと、ネジが回転できなくなります。そこで、ネジの回転は、内部に埋めこまれているネジの受け穴で十分回転でき、ベゼルを固定できるようになっています。 興味深いことに、この特許の図では、ロイヤルオークのネジの向きは揃っていません。みなマチマチの方向を向いています。

機械式時計のどこがいいのか? その21

仕上げの話、まだまだ続きます。今回は、オーデマピゲのロイヤルオークを取り上げます。ステンレス製の高級スポーツ時計という分野を開拓した時計です。オーデマピゲやパテックフィリップといった「超」のつく高級時計メーカーは、ステンレスという素材を原則として使っていませんでした。そのほとんどが金無垢の素材の時計で、ステンレスを使うのはほぼスポーツラインのみです。そのステンレス製のスポーツラインの嚆矢がこのロイヤルオークです。ジェラルド・ジェンタ(故人)という有名な時計デザイナーの代表的な作品です。パテックフィリップのノーチラスも彼のデザインになります。 ロイヤルオークのデザインコンセプトは、薄型の高級スポーツ時計の追求にありました。スポーツ時計というからには防水性があり、衝撃に強くなければいけません。70年代当時、ネジ込み方式の裏蓋を使って防水ケースにする技術(スクリューバック)はすでにありました。しかし、ケース裏に裏蓋のねじ込み用の溝を切ると、その分厚さが増してしまいます。わずか1、2mmですがジェンタはこれを嫌いました。そこで裏蓋のない一体式のケースを考案し、パッキンを挟みこんで、ベゼルで上から挟み、ムーブメントを固定する構造を採用します。このベゼルは、風防も挟みこみ、これも当時の防水の弱点だった、風防とケースの接点部分の防水性能も改善します。この結果、わずか7mmの薄さで必要な防水性能を達成しています。 デザインだけでなく、このロイヤルオークは仕上げも秀逸です。薄型の時計で普通に磨き仕上げをすると、それだけでは通常の薄型のドレスウオッチとさほど違わないデザイン、仕上げになります。ジェンタは当然ながらこれも嫌いました。ジェンタは、この裏蓋がない新しい一体形のケースが、今迄にないデザインを可能にするのを知っていました。ロイヤルオークのモチーフは、イギリスの戦艦「ロイヤルオーク号」の八角形の船窓です。ジェンタデザインのロイヤルオークも同様に、八角形のベゼルを持ちます。ジェンタは、このロイヤルオークに、曲面ではなく、平面を組み合わせたケースデザインを与えました。さらに、この新しい薄型ケースを立体的に見せるために、サテン(ヘアライン)仕上げと磨き(ポリッシュ)仕上げをうまく使い分けます。ベゼル前面はサテン、ベゼルの側面はポリッシュ、さらにベゼル下部に回りこむと、画像では線のようにしか見えませんが、サテン仕上げになっています。同じく、ケース前面およびケース側面はサテン仕上げですが、その境目はラグに向かって少しだけ広くなるようなポリッシュ仕上げです。 この仕上げがなければ、ロイヤルオークは、ここまでのモノにはならなかったのではと個人的には思っています。おそらく数ある時計の中でもロイヤルオークは、一、二に仕上げが難しい時計ではないでしょうか。ロイヤルオークのジャンボ自体、数が少ないですが、そのオリジナルを見たことがない時計店でポリッシュやサテン仕上げがされると、ベゼルの直線部分が曲面になったり、ケースの前面と側面のポリッシュ仕上げ部分も丸くなったりなど、緊張感のない時計になっている例をときどき見かけます。特にロイヤルオークはその幅広のベゼルにキズが入ると目立ちます。ので、必要以上に磨いてしまうのでしょう。まあ、それでも悪い時計ではないですが、少し残念な気がすることもまた事実です。仕上げは、最後に時計に魂を込める工程ともいえます。やはりオリジナルのコンセプトを尊重して入魂するのが望ましいといえるのかもしれません。 画像は70年代の初代ロイヤルオークジャンボです。これは筆者が友人に譲ったもので、いまは友人の手元で可愛がられています。

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